2019-10-01 第199回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号
まあ屋根瓦は飛ばされて、家もぼろ家でございますから、多少の雨漏りは仕方ないなと思っておりまして。 昼過ぎになりまして、近くの量販店、ホームセンターに行きまして、土のう袋を自ら購入いたしました。実は、その前に屋根屋さんに電話をしたんですけれども、瓦の修理、とても行く状態じゃないということでございました。
まあ屋根瓦は飛ばされて、家もぼろ家でございますから、多少の雨漏りは仕方ないなと思っておりまして。 昼過ぎになりまして、近くの量販店、ホームセンターに行きまして、土のう袋を自ら購入いたしました。実は、その前に屋根屋さんに電話をしたんですけれども、瓦の修理、とても行く状態じゃないということでございました。
例えば、幾らぼろ家だといっても、持っている人が、いやいや、これはぼろ家じゃないと。まさにこれは私有財産でありますから、そういう関係もあるでしょう。もしくは、居住用ということで、いや、とにかくいつか住みますからと言ったら、例えば、居住用であれば、普通の土地部分に関して、固定資産税が六分の一の特例が適用されるということであります。
家族団らんの母屋から七十五歳以上の御高齢者を離れに連れていき、その離れは決して暖かでなく、そこは非常にもしかしてぼろ家かもしれません。塩川大臣がおっしゃったような、母屋でおかゆ、離れですき焼きだったらいいんですけれども、高齢者医療制度は、七十五歳以上の、御病気がちで、そしていろいろな御不安を抱えた方を、医療制度だけですが、いわゆる家族の扶養から抜けていただくということになります。
この法案によりまして、その私の実家のようなぼろ家がつぶれることがないように、新しい建築基準法にのっとった形で耐震性の強い形の住宅がふえていって被害がないようになるということが望ましいことである。
あるいは軽質老人ホームというのは体のぐあいが悪いわけじゃなくて、ただ家にいるようなスペースがなかったりあるいは家がもうぼろ家でどうしようもないとか、そういう人たちに住まいと食事を提供するというのが軽質老人ホームです。
はっきり言ってしまえばぼろ家が多いということで、さっき話題が出ましたように、大きな問題をつくっておりますね。 〔理事小川仁一君退席、委員長着席〕 だから、居住環境が非常に良好であって家賃も適正だ、そういう賃貸住宅の建設を促進することが私は重要な課題だと思うんですよ。 今度の建設省の新設住宅着工数ですか、これを見ますと非常に高水準ですね。
しかし、二十年間手入れせぬでぼろ家になっても上がっていく、こうなるでしょう。ただ、前年の評価よりは上がらないんだけれども。家屋の場合は前年の評価を超えないことで上限は切っていますから。しかし古い家はそうなってくる。その間に維持補修をやっていくといえば、それはそれなりの評価はできるでしょう。しかし家を建て直すというつも力もないのに一体どうなんやということになる。
そういうポリシーを掲げて政権の存在理由に位置づけておるなら、中身はうちはぼろ家でも気のきいたことを言わぬといかぬという立場もありますが、しかし財政を預かっておる者はむしろおののきを感ずるという状況でなきゃいかぬのじゃないかな。突っ張ることないですよ。こういうところへ出て、あれもうまくいっています、これもうまくいっていますと言うことないと言うんだ。
○渡辺国務大臣 せっかくセメントで家をつくっても、ぼろ家になるようなことは困るわけですから、それは原料の段階でそういうことが最初からわかっているようなセメントをつくらせてもいけませんし、極めて技術的なことでありますから、きちっと研究をいたさせます。
ですから、そんなところに無理に行くということが悪いと思ってまだ行っていないわけですけれども、そこに預けた人たちのお話をいろいろ聞いてみますと、ビルの地下室で窓が全然ないとか、窓ガラスがないような、それこそ廃屋みたいなぼろ家でやっているとか、ビルの非常に高いところ、そういう階にあるとか、とても狭いところにびっしり赤ちゃんを並べて置いているとか、ひどいところでは、これは熊本の話だそうですけれども、プロパン
○岡田(正)委員 私が知っております中に、隣の方が失火をいたしまして、それは本当のぼろ家でありますが、その隣に建っておったりっぱな家がたちまちにして類焼して焼けてしまい、しかも、それに気のついたときには時すでに遅し、中におられた奥さんは、寝巻きのままじゃ外へ飛び出るのがどうかということを考えたのでありましょう、非常に慎み深い人で、着物をわざわざそこで着がえられた、そのほんの一瞬の手おくれのために子供
また、全くのぼろ家でありますから、二階にはその被害者の兄貴の夫婦が住んでいるわけですから、どこからでも少し大きな声を出したらすぐ聞こえる、そういうところに兄貴の夫婦がいた。そこでそういう犯罪が行われるということは、いわば空間的にも考えられないし、時間的にも全く同様であります。
それからやはり金融機関からいえば、建てかえるのだったら、多少かっちりした家でもぼろ家でも全部こわしてしまえば大差ないのですから、これは便利なところ、それから今度建てたところが高い値で貸せる場所、そういうところが金融機関のほうの条件だと思うのですね。これはもうまっこうから対立する条件だと思うのです。
また建てるということになると、従来のぼろ家ではいけませんから、しかるべきものを何かこしらえなければいかぬということになって、建設費が伴ってくるわけです。こういうことになってきますと、いまの時代に即応して、のこぎりを研磨していこうといたしますと、最低やはり四、五百万円はかかります。百万円ないし二百万円では、言うなら商売にならぬのですね。
しかも既存の非常に古い建物がありますから、こういったぼろ家、老朽な建築物を改新築して新しい住宅をつくる、それに対しまして、だんだんに御意見もありますように、いろいろむずかしい問題点もあります。でありますが、ただいまのこの住宅の法案は、入居者の保障とか、あるいは仮住まいの提供、さらには移転料の支払い、いろいろこまかい配慮もなされております。
しかしながら、たとえば、昔の家がもうぼろ家であって、いまでは物価も何十倍していても、やはりそれに住めるだけの坪数の家を建てるのは当然でありまして、私の申しますのは、その古い焼けた、焼けたものの価額の償却なり、残存価値を言っているのでありまして、いまうちのケーブルに例をとりますると、少なくとも帳簿価額はわずかで、残存価値もわずかで償却済みに相当なっておりましても、新しく完全な通信施設というものができるような
ところが、その家はささやかなぼろ家でありまして、残された親子四人がやっと住むだけのうちでありますのに、四、五百万円の税金がかかってくる。そして、保険料と退職金で払ってしまったら、あとは何も残らない。そして、これは未亡人の涙に追い打ちをかけるような結果になっておるのではあるまいか。 そこで、どうしてこういうような深刻な矛盾が生まれたかということを考えてみますと、それは、結局家の問題であります。
ただし家屋の場合でも、特殊な家屋で、ぼろ家で、それを復旧するほうの費用が客観的に見てその家屋の価格よりも高いという場合は別ですよ。それは別ですが、普通の場合はそうではないんですよ。ところが、滝井さんも言っておるけれども、現実に行なわれておるのは、復旧費から算定して出して、それからさらにその四割を削って払っておる、こういうことなんですよ。
○石井桂君 ただいまのお答えで大体了承するのですが、十何年もあのぼろ家をめんどうを見て、つまり、私はなぜぼろ家かといえば、あれは進駐軍の兵隊の宿舎をつくる材料をその当時私どもがもらってきた、アメリカから。そうして、そのはりがないもの、柱のないものを一々一つのセットにして、いろいろめんどうを見て千五十戸建てた。しかも、ほんとうに日本の部材より半分くらい小さい部材です。
しかし一階のぼろ家では、これは浸水したらもう全くどうにも動きがつかない。人命にも影響があるというような状態を起こしますから、できるだけ不燃建築の、堅牢な建築の二階建以上に、そういう街区を指定しまして整備していく。これができていけば、まあ一階は水につかりましても、貴重品を持って二階、三階に上がってしまう。